日本にいる生活

  交換留学生から大学院に入学、そして伝統的な日系企業に就職し、私は日本で五年間も過ごし、たくさんの日本人と友だちになりました。このビデオを通して、私と友だちとのストーリーを述べ、一緒に過ごしてきた時間を記念したいと思います。
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第一章 静岡


2005 年10 月、浙江大学と静岡大学との交流協定により、大学三年生の私は静岡に来るチャンスをもらいました。物語はここから始まります。




静岡は富士山の南にあります。台所の窓からでもこんな贅沢な景色が見えます。
静岡には一年間しか住んでいなかったのですが、私にとっては、日本でのふるさとのような存在です。静岡には私のM お母さんとY お母さんがいるからです。

  お母さんたちはさくらクラブという留学生を手伝うボランティア組織のメンバーです。さくらクラブのお母さん、お父さんたちはよく我々留学生を誘い、家で一緒にご飯を食べたり、困った時は助けてくれたり、いろいろなイベントを行ってくれたりします。ですから、留学生たちはいつも親切にお母さん、お父さんと呼んでいます。


お母さんは料理が得意なので、キチンではさまざまな調味料が並んでいます。クリスマスの時はいちごチーズケーキも作ってくれたのです。私はお母さんの手料理が大好きで、食べ過ぎてかなり太っていました。


私は自転車で通学していました、お母さんは夜が暗くて危ないと心配して、わざわざこの目立つ白い帽子を買ってくれたのです


お正月にお母さんの家でおせち料理を食べていた時、お父さんがモンゴルの留学生からもらったモンゴルの民族衣装を着ていました。まるでモンゴル人みたいでした。


犬の安ちゃんがお母さんに「食パン下さい」と言っています。

  2006 年9 月、一年間の交換留学が終りまして、いよいよお母さん、お父さんと分かれる時になりました。最後静岡から離れた朝は、お母さんとお父さんが静岡駅まで見送ってくれたことをよく覚えています。

第二章 横浜

横浜 みなとみらい21
2007 年10 月、私は再び日本にきました。今回は横浜です。そして、この町で三年間半も暮していました。


横浜は静岡と違い、とてもにぎやかな港町です。

異国情緒のあふれる中華街は世界中有名です。

洋風の外交官の家

 横浜でのいい思い出はきれいな景色だけではなく、もっとも大事

なのは横浜でたくさん優しくて熱心な人と出会ったことです。


私は結局研究者としての道を諦め、企業に就職したのですが、指導先生のK 先生は相変わらず励ましてくれ、私の就職を喜んでくれました。

一番忘れられないのは横浜の中国人留学生援護会の生徒さんたちです

中国人留学生援護会は中国語教室を開き、中国人留学生を講師として雇う非営利団体ですが、すでに25 年間の歴史もあります。 教室で中国語を勉強する他に、面白いイベントも行われます。例えば、みんなで餃子を作ることとか、夏合宿とか、日中友好パーティー等。
2010 年の夏合宿

2010 年日中友好パーティー

生徒さん達は中国文化が好きで、中国語に大変興味を持っています。


生徒さんと友だちになり、一緒に遊ぶこともよくあります。私は日本で泥鰌を食べたことがないので、F さんとM さんはわざわざ浅草の有名な泥鰌屋でご馳走してくれました。

そのあと、私たちは浅草寺と和紙の店に行きました。最後に、まだ建設中のスカイツリーまで見に行きました。


スカイツリー


泥鰌屋
F さんは字も上手だし、手もとても器用です。私とクラスのみなさんによく手作りのプレゼントをくれたのです。


M さんは旅行が好きです。私は台湾で学会がありまして、彼女は台湾まで付き合ってくれました。

そして困る時いつもアドバイスをしてくれる洋吉さん。母が日本に来たときY さんは熱心に鎌倉のお寺を案内してくれました。

時々残念なこともあります。W さんは転勤のため中国語の勉強を辞めなければならなかったのです。
クラスメートのK さん、A さん、J さんも送別会に来ていました。

卒業と同時に、援護会でのアルバイトも終わりました。短い二年間に50 名ぐらいの生徒に教え、幸せと友情を収穫しました。


第三章 学生時代、さようなら


2011 年2 月に、卒業前に私は再び静岡のお母さんを訪ねました。万里子お母さんは既に卒業式で着る着物を用意してくれました。

しかし、残念ながら、3月の東日本大震災の関係で、たくさんのイベントがキャンセルされ、卒業式も行われなかったです。ただし、援護会の生徒さんは送別会を開いてくれました。みなさんと一時はなれていくのですが、友情は永遠に続くと信じています。


2011 年 4月送別会

この何年間、助けてくれた人はまだまだたくさんいます。あな

た達のおかげで、私は異国で楽しい時間を送りました。めんどう

を見てくれまして、どうもありがとうございました。私はきっと

いつまでもこの思い出を大事にします。




後書き

まんまる会の支えで、私はようやくこのフォトクリップを完成しました。まんまる会はボランティア組織で、留学生に自分の夢を実現させるチャンスを与えています。私の夢は友だちと一緒に過ごした時間を残すことだったので、このフォトクリップを考えました。このチャンスを提供してくれたまんまる会の皆様、どうもありがとうございました。





《 まんまる会より 》

曹さんご了承のうえ、写真の一部を割愛させて

いただきました。フォトクリップの画面をまんま

る会で編集いたしました。