北京が好きで、何回通っただろうか。そう、今年で6回目。それでも、天壇にも頤和園にも行ったことがない。
私にとって北京とはフートン胡同だから。
昔北京の街は城壁に囲まれていて、東西に敷かれた道に沿って、レンガの高い塀で囲まれたお屋敷が並んでいた。通りからは門しか見えない。しかも影壁という壁があって中がのぞけない。その奥に、中庭を囲んで北と東西に部屋が作られた静かな世界がある。それが四合院。
四合院と四合院の間の細い路地がフートン胡同である。どこまでも続く灰色のレンガの塀に、ニセアカシヤやエンジュの木が涼しげに影を落とし、抑揚のある物売りの声が通り過ぎていく。
貴族や読書人が、香り高いお茶を飲み花を愛でていた四合院の中庭に、文革の頃からだろうか、庶民が住み着き、勝手に部屋を建て増しし、軒を争って暮らし始めた。通りでは塀を壊して雑貨屋や八百屋が店を開き、公衆トイレが作られ、ついには中の暮らしもフートン胡同にはみ出してくる。歯を磨き、体操をし、食事をし、勉強し、将棋を指し、トランプ、おしゃべり、屋台まで出て、もうやりたい放題。なにもすることのないおじいさんが一日中ぼんやりと座っていたり…
優雅さと生活の匂いのあふれる胡同を歩いていると飽きることがない。
裸のおじさんたちが、いい暇つぶしとばかり話しかけてくる。中国は日本より50年は遅れてるな、なんてえらそうに言う人もいれば、メシメシ、バカヤロー(多分戦争映画で覚えた日本語)とおどける人もいる。しゃべらなければ北京人に見えるよ、と失礼なことを平気で言う人もいる。
子供を連れた女性が、私たちの持っている中身の少ないペットボトルを指さすので何かと思ったら、個人リサイクル業者?それで結構お金になるのだろう。そんな人を何人も見かけた。北京のリサイクルは人海戦術だ。
とにかくみんな元気で話し好き。タクシーでも運転手の隣に座っておしゃべりするし、トイレの間さえも会話が途切れることはない。だからドアがなくっても気にならない、らしい。
胡同はどこまでも続き、それでいつも、天壇まで行き着けず、また来年ネ、と心の中でニヤリとする。
そんな胡同がどんどん壊されている。老朽化して現代人の暮らしに合わなくなっているし、二年後のオリンピックも大きな理由だ。残念だけれど、仕方がないか。それよりも、北京人のエネルギーがまたおもしろい暮らし方を生み出していくのだろうと信じている。それを見るためにも、また来年も北京に行かなくては。
編集後記: |
「夢叶えますキャンペーン」で留学生のみなさんとの交流の機会が増えるのが何よりも楽しみです。いろいろな所へ説明に出かけますので、よろしくお願いします。 |
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