広島の平和祈願の感想
中国からの留学生の陳杰と申します。現在、中央大学の経済研究科で国際経済を学んでいます。
昨年の12月(もう昨年と書かねばならない事に時の流れの速さを感じます)に行われた広島の平和祈願についての感想を書かせていただきます。
実は私が日本に来てから、広島へ原爆ドームを見るのはずっと実現したい夢の一つでした。その際に、まんまる会の小野様より私の住んでいる留学生会館への「あなたの小さな夢をかなえます」キャンペーンの説明があり、渡りに船という気持ちで応募しました。まんまる会の皆様のご好意により行われたこの「あなたの夢叶えますキャンペーン」活動は、この夢を叶えさせてくれました。
まず、この活動に応募しようとするきっかけから話させていただきます。昨年の夏に、靖国参拝や歴史教科書などの認識不一致により、中国では大規模の反日デモが起こりました。今まで日中間の相互交流と相互依存関係が深まり、日中関係の重要性がますます高まる中で、日本をライバルではなくパートナーであると認識している中国人は決して少なくないです。一方、日本人の中にも、古くから高い文明を誇り、日本文化に大きな影響を与え続けた中国に対して憧憬や尊敬の念を持つ人、また戦争中の行為に対する償いとして中国の発展に助力したいという気持ちを持つ人もたくさんいます。しかしながら、同時に、両国が隣国であるがゆえに、お互いに対して複雑な感情を有している人も少なからず存在することも否定できないです。私は日本に来て3年間半を経って、心の中ではもう日本のことをすっかり第二の故郷として思うようになりました。日本のテレビでは反日デモの映像を見た時、正直に言ってちょっとショックを受けました。中国と日本の間、いつの間にかこんなに深い溝ができてしまったのでしょうか。それを見た時に、私は、ちょっと複雑で、なんとも言えない切ない気持ちで胸がいっぱいでした。
その際、「広島への平和祈願」という内容で応募しました。日中間に横たわる「歴史問題」への再認識の必要性をつくづく感じました。 特に、日本へ留学に来た私たちにとっては、歴史・戦争への正しい認識、つまり、戦争が持つ2面性〜戦争加害と戦争被害という二つの面について、もっと学ばなければならないと思っていました。そして身をもって実感するためには、第二次世界大戦時、広島の原爆資料および映像を保存している原爆ドームと平和公園へ実際に足を運び、原爆資料館の戦争加害情報を参照し、戦争が日本への被害を実感するのが一番だと思うようになりました。日本は戦争の中、加害者ばかりとして見てきた私たちは、被害者としてはあまり見なかった面も自分の目で見て、そして写真に収めて、中国にいる友人、そして中国の人々にそのことを伝えなければならい義務があると思います。
今回の活動を通じて、私なりにいくつか実現したいことがありました。私が住んでいる留学生会館の中には、中国人の留学生が大半をしめており、みんなの協力を得て、平和を祈る気持ちを込めて一緒に鶴を折り、そして戦争・平和へのそれぞれの思いを寄書にし、実際原爆ドームへ持っていくことです。そして、原爆ドーム・平和公園など戦争に関わるところ、資料などを写真に収め、友人や親戚、また多くの人に見せ、みんなに戦争が持つ加害性と被害性を改めて認識させることです。最後に、もし機会があれば、広島の方の戦争についての意見について意見交換したいと思っていました。まんまる会の皆様及び広島で平和運動に携わっている佐久間佳子様、藤井純子様、山田忠文様のご協力で、上記の実現したい事柄を達成できました。
今度の原爆資料館を見て、非常に印象に残ったのが、始めて実戦に投入された原子爆弾ですら、僅か 1.4秒後に4000度にまで温度を上げる能力を持っていたという事です。一体、現在地上に存在する核兵器がどれほどの破壊力を持っているのか、想像するだけで恐ろしい気がします。広島の町が、一瞬にして地獄と化した情景が、頭のなかで想像され、何とも云えない悲劇が、過去に事実として起こったということがわかりました。そしてその悲劇をしっかり受け止めなければならないと思いました。私たちは、戦争のない平和な時代に生まれたと思うが、それは、間違いで過去に戦争といった過ちを犯したからこそ今日の平和があるわけで、世界にはまだ民族間や宗教間での争いが多々あります。世界が平和になるに日は、いつになるか分かりません。
しかし広島・長崎のような悲劇を繰り返さないためにも様々な国、民族の方に広島の地に足を運んでもらい、平和に対する意識を強く持ってもらわなければならないと思いました。
原爆資料館の中で、とても印象に残ったのは、「サダコと折り鶴の物語」の話でした。広島に行く前に、まんまる会の皆さんから禎子さんの話をちょっと伺いしましたので、折り紙を買って会館の友達と一緒に折鶴を作りました。
禎子さんの物語を読んでいるうちに、彼女はもう物語の中の主人公ではなく、普通の女の子として生活していた側面を知りました。
彼女は家庭、学校、病院というそれぞれの人生の一側面を精いっぱい生きてきました。
彼女は生きたいと願って最後まで希望を失わず、短い命を一生懸命に生きた少女でした。折鶴を作って生きる信念を鶴に託し、その一生懸命さに心を打たれて励まされた被爆者はきっと多く存在していただろうと思います。国が違えとも、言葉が違えとも、みんなが戦争へ訴える思いは一緒です。その思いを込め、「サダコ」の物語はすでに広島から国境を越えて世界各国へ伝えられ、これからも世界の人を励まし、人々の心の中に延々にいき続けていくことでしょう。
空ふみこさんとのインタビュー
原爆のすごさ、悲惨さというものはよく耳にしますが、これまでなかなかイメージがわきませんでした。詳しい解説と映像が加わり今までよりずっと現実味が増して感じられました。
原爆の怖さを再認識させられましたが、実際に被害にあった空フミ子様から直接に、原爆の時、どんな思いがしたのか、お話を伺うことができました。
特に私が心を痛めたのは空さんが自分の被爆体験を語る時に、痛い、痛いと言いながら口にした失明の話しです。
空さんは「原爆の為に働いていた工場が倒壊し、普段なら絶対に壊れない部位の支柱が倒壊し、スラートが左の目に刺さって見えなくなり、当時混乱状況で医療体制が崩壊し、傷の処理がとてもお粗末だった」などと昔のことを一つ一つ、思い出しながら話しているように、ゆっくりたんたんと語ってくれました。
彼女は父親に簡易医院で発見され頭半分を包帯に巻かれながら自転車の荷台に乗せられて実家に運ばれました。
私がものすごく心が痛かったのは「お母さん、痛いよ、痛いよ」と空さんがお母さんに泣きながら訴えたと言うことです。
その声が原爆資料館を見学した時、吉永小百合さんが朗読した声と重なり、長い時間、頭からその声が離れませんでした。当時、空さんはまだ16歳、原爆による顔への傷が何箇所もでき、左目も失明し、若い女性にとってはどんなショックで、どんな耐え難いことだったでしょうか?彼女は「失明した自分は一生結婚できないだろう」と生きる希望を無くしたこともあったといいます。
こんな苦しみ悲しみ絶望に満ちた悲劇をもう二度と繰り返してはならないと強く思いました。
私の印象に残っているシーンがあります。
広島平和公園で「被爆したアオギリ」の前に立ちながら、「アオギリの歌」を聴くシーンです。藤井さんの話では、「アオギリの歌」という歌は、3・4年前に広島の小学校3年生の女の子が作った歌だそうです。爆心地から約1キロ離れた地でその木は被爆しました。70年草木は生えないだろうと言われていたにもかかわらずその木は翌年には新芽を出したそうです。希望を失った広島の人々はアオギリが黒焦げになりながらも新芽を出し生きていく姿になぐさめられ、生きる希望を持ったそうです。アオギリについての話を聞き、その強い生命力はまさしく原爆後広島の人々とそっくりでした。戦後、生き残った人は悲しみの中で、広島を再建し、現在まで発展しました。少年、少女の声で歌われた「アオギリのうた」のメロディーは、今でも忘れられません。ここでみんなにも聞かせてあげたいと思い、インターネットからダウンロードしました。私は歌えないですが、朗読させていただきます。
アオギリのうた
1. 電車にゆられ 平和公園 やっと会えたね アオギリさん
小学校の校庭の木のお母さん
たくさん たくさん たね生んで
家ぞくがふえたんだね よかったね
遠い昔の傷あとを 直してくれるアオギリの風
遠いあの日のかなしいできごと
2. 資料館で見た 平和の絵 いろんな国の 人々や
私がみんなが考えてゆく広島を
勇気をあつめちかいます
あらそいのない国 平和の灯
遠いむかしのできごとを わすれずに思うアオギリのうた
これからうまれてゆく広島を大切に
広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔
戦後53年、戦争は経験していないので本当の意味での恐ろしさは分かりません。しかし、今度の旅を通じ、2度と繰り返してはいけないという事は分かりました。2度とこんなことのない世であって欲しい、そう願っていますが、世界にはまだ戦争の恐ろしさを実感していない方々がたくさんいます。その中に、私もいました。しかし今度の広島平和祈願活動を通じ、自分の中で戦争の被害性と加害性について再び考えさせられました。
平和の中にあっては中々得られない、その実感を身にしみて感じたとても有意義な旅でした。
最後、ここにもう一度まんまる会の皆様、また関係者の皆様に深いお礼を申し上げて私の感想とさせていただきます。
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中央大学大学院経済研究科
国際経済専攻 修士課程
田中素香研究室: 陳 杰
MAIL:Jessica_chen12@hotmail.com
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*伊舎堂さんのレポートを読みたい方は小野(onokyo1118-lj@infoseek.jp)までメールでご絡絡ください 。郵送いたします。
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