第2回夢叶えますキャンペーン報告会

後岡和代

2月19日(日)県民センターで「第2回夢叶えますキャンペーン報告会」を行いました。

報告者は、広島へ戦争への再認識の旅をした留学生・陳杰さんとチューターの伊舎堂寿彦さんの二人。詳しい内容は、報告書をお読みください。

参加者は他に8名。戦争体験のある人、ない人、外国で暮らした経験のある人、中国との交流活動をしている人……戦争について、他の国を理解することの難しさについて、経験に基づく真剣な意見交換は予定の時間になっても尽きず、会議室から交流コーナーへ場所を移して続けられました。誤解や衝突があることもあるけれど、身近な外国の方と自然なふれあいを続けていきたい、そこから確かな理解が生まれるのではないか、というのが共通の想いでした。

最後に会長の鈴木さんが、栗原貞子の『生ましめんかな』と『ヒロシマというとき』の2篇の詩を朗読し、重いテーマが少しやわらぐと同時に、一人一人の心に深く沁み込んでいきました。

この報告会のためにと、寄付、体験を綴った手紙、手作りケーキも届けられました。たくさんの方に協力していただきました。ありがとうございます。

難しい問題に向き合う勇気を持った陳さんと、それを支えた伊舎堂さんに心からの拍手を送ります。若々しい感性が感じ取った「ヒロシマ」を共有できたのが、何よりもうれしいことでした。


伊舎堂さん

 




*伊舎堂さんのレポートを読みたい方は小野(onokyo1118-lj@infoseek.jp)までメールでご絡絡ください 。郵送いたします。



夢叶えますキャンペーン余話

                                   小野京子

 夢キャンペーンに惜しくも採用されなかった留学生達の何人もが、当選した人を祝福し、自分の夢は自分の力で実現すると言ってくれたことに、私達は驚き、感心しました。「残念ながら報告会に出席できない。」と中国行きの飛行機搭乗直前に、手紙を投函した留学生。「卒業間際で多忙をきわめ欠席したが、無事卒業しました。」と卒業式の写真を送ってくれた留学生。心遣いがとてもうれしかったです。

 そんな中、「夢叶えますキャンペーン」がきっかけとなって、タイの留学生と私達の古い友人の会「FHCY」との、素晴らしい出会いがあったことをご報告します。

    

《キャンペーンの説明会で》

 説明会後の雑談で、彼女が話し始めました。

「この前、テレビで日本の障害者施設の番組を見ました。ダウン症の子供を皆で支えていました。タイでは障害者を町で見かけることはまれです。それを見て、とても感動しました。ぜひ、日本の施設を見学してボランティアをしたいです。」

 まんまる会では、彼女の障害者に対する優しいまなざしを感じて、日本の施設ではなく、タイの障害者達と様々な形で交流、支援の実績があるFHCYを彼女に紹介することに決めました。 

    《FHCYについて》

10数年前のまんまる会設立当初、成田正雄さんという、車椅子で人の輪に飛び込んで行く、元気印の男性が「まんまるバザー」に来てくださいました。「タイの障害児の出前絵画展」を出発点として、タイの農村部における障害者福祉の発展に、遠い日本から尽力している会の初代代表という方でした。その後この会は次の代表に引き継がれ、「NPO法人FHCYアジア障害者パートナーズ」となって現在にいたっています。その会とタイの留学生が、時を経て、まんまる会を通し、引き寄せられるよう繋がりました。(FHCYホームページ http://www.fhcy.org)

    《3者の出会い》

 私達まんまる会にとって懐かしいFHCYの会員である武内眞さん、そして現、代表理事小俣典之さんと留学生を、お引き合わせした後、会の歴史から現在までの活動状況をうかがいました。会は毎年2回「タイの障害者施策の現状を知るためのスタディーツアー」を実行しています。「日本の若者達、障害者達がバンコクで行動する時、案内や通訳をしてくれる人が必要だ」という話が出た時、彼女は即座に申し出ました。「私がご案内と通訳をします。住まいがバンコクですからお役にたちたい」なんという決断の早さでしょう。彼女は遠い日本のFHCYの人達が、現地の福祉関係者達を巻き込んでタイの障害者達を励まし続けてきた話を聞き、心打たれた様子でした。

 4月に故郷に帰った彼女とFHCYの交流は始まったばかりです。まんまる会が細く,長く続けてきた活動が、こんな形で小さな実を結び、これから大きく成長していこうとしていることを、成田さんも喜んでくださることでしょう。

御意見をお寄せ下さい。 丸谷士都子@まんまる会